あれから61年かぁ・・

rirityan2006-08-15

私は当時山口県もやや広島県寄りに住んでいたけど、戦争末期になるとすぐの上空で空中戦が始まり、日本の戦闘機が煙幕を張り、煙幕の間から火花が散ったと思った途端、日本の戦闘機が火を噴きながら螺旋状に落ちて行くのです。
そう言う中で私の親戚の葬儀があり、昔は土葬で、棺おけを担いで墓場まで行ってました。その道中の行列は空から悟られないように家の軒下を潜るように墓場まで行くわけです。
やっと墓場にたどり着き、土葬を終えてお坊さんが読経を始めた途端、目の前に日本軍の戦闘機が落ちて、そのお坊さんが「うちの寺に落ちたぁ〜!」と言って、読経の途中で慌てて飛んで帰ったのを覚えています。
それから暫くして広島に原爆が落ちました。


そして終戦・・私が6歳の時でしたが、ラジオで玉音放送があるとの触れ込みで近所の人たちがみんなラジオのある家の前に集まり、暫くすると玉音放送が始まったけど、ピーピーガーガー雑音がひどくて、その合間に時々天皇陛下の声が聞き取れていました。
私は子供心に、これでもう空襲警報はなくなり防空壕にも入らなくて良いんだと、嬉しくなったのを覚えています。
そうして暫くすると進駐軍の米兵達をあちこちで見かけるようになりましたが、それまでは「米英鬼畜」と教え込まれていたので、米兵が近づくととても怖くて、家の中へ逃げ込んだのを覚えています。
しかし優しい米兵も居て、それまで食べた事もないチョコレートやチューインガムをくれる人もいました。それからの生活は大変だったけど、日本はやはり戦争に負けて良かったと思うようになりました。

戦争の世紀を超えて

戦争の世紀を超えて